マンガ新発見
 



『自虐の詩』とストックホルム症候群

田中さんはお医者さんで、脳の研究家です。自宅の庭で野菜を
育ててみたり、俳句もお好きな好奇心一杯の先生です。その野菜
の写真をHPで公開しているというので、さっそくいってみましたとこ
ろ、エッセイのページに『自虐の詩』というタイトルがついていたので
そこものぞいてみたのです。『自虐の詩』は業田良家の傑作で、
ぼくの大好きな作品だったからでもあります。
ヤクザくずれのどうしようもない
夫にいくらいじめられても、ひたすら彼を愛してやまない幸江
さんの物語。篇中、繰り返す夫の「ちゃぶ台引っくり返し」シ
ーンは忘れることが出来ません。
下巻の終わり近くで、臨月になった主人公が、幼いときに
自分を捨てて出ていった母親を殺そうとする夢を見る場面
に田中さんは注目しています。幸江が子供時代には無職で
後に犯罪者になる父親、そして成人後は夫に、ひたすら虐待
される。こうした情況は、精神科の領域では「ストックホルム
症候群」として知られる有名な異常精神状態だと言います。
むかし、スエーデンのストックホルムで銀行強盗事件があり
犯人は人質をとって立てこもりました。犯人は最後に投降し
懲役刑に服すこととなりました。ところが、人質だったある女性
は数年後に懲役を終えて出所してきた犯人と結婚したのです。

この事件では包囲した警察に対し、人質達が本心から犯人
をかばい、警察を非難する言動が繰り返され、それが話題に
もなっていたのでした。人質になるという、極限の精神状態
が、犯人や抑圧者への憎しみを、全く反対の好意に変えて
しまう場合があるといいます。これを、この事件にちなんで
ストックホルム症候群と呼んでいるそうです。

とにかくギャグマンガを精神医学の方向から論じた
この田中茂樹さんのエッセイには驚かされました。
やはりこれは新発見!だと思ってしまいました。



『ねじ式』と『ジュン』の深い関係

熱心なマンガ・コレクターや研究家の集まる「誘蛾灯さん」の掲示板の
常連格の高木ひとしさんが、石ノ森章太郎の『ジュン』(「COM」・19
67年1月号より連載)が、つげ義春に影響を与え、彼に『ねじ式』を描か
せたのではないか?!という発言をされました。
つげ義春と聞くと、まず誰しも「ガロ」派の作家と思い込んでしまいます。
しかし高木さんは、つげが1965年に貸本マンガ誌「鉄人」(3)<第一プロ>
に発表したSF短篇『右舷の窓』には、あきらかに石ノ森の自画像そっくりの
船員が登場し、更にサイボーグ004に似た船員も描かれていると指摘されま
した。これを見ても、つげは当時から石ノ森作品を見ていたと言うのです。
さっそく確かめて見ますと、その通りでした。更に注意深く見ると12ペー
の最下段の船員たちの中に、赤塚不二夫の似顔の髪の毛をベタ塗りした
ようなキャラクターも居る!そして、ほかに手塚治虫のキャラであるジェー
ムス・メースンまで登場していたのだ!
そういえば、赤塚がまだアマチュアで「漫画少年」に投稿している時代に
つげが彼を何度も訪問している。永島慎二と鈴木光明が中心で組織した
アマチュアとプロ新人の研究会「かこう会」の新宿御苑集会にも参加していた。
手塚に影響を受けた人々の作品に彼は強い関心を持っていたのである。
シュールな夢のようなファンタジーで、当時のマンガ・ファンを驚かし
ストーリー性まで否定しつつイメージの方を重視した『ジュン』は、
手塚治虫が思わず「これはマンガではありません」とファンレターに
返事を書いてしまい、石ノ森が「COM」に対し執筆拒否をするという
事件まで引き起こした問題作だ。
つげは『ジュン』発表の翌年の68年6月「ガロ・増刊号」<つげ義春
特集号>に『ねじ式』を発表している。だから『ジュン』を見たつげが
こんな夢そのものをマンガに描いてもいいのだ…と考えた可能性は
否定出来ない。高木ひとしさんの指摘はぼくにとっての新発見だった。



『残酷な神が支配する』のネーミングの神秘

マンガ作品の登場人物のネーミングにマンガ家たちは結構苦労します。
『天才バカボン』のように姓名が無いままの作品とて、アイデア段階では
『バガボンド』という案がありました。でもパパが主人公として
バカボンより活躍するなどということは、当初考えてもいなかったために
父親の名前はほったらかし、パパのまま連載は継続されていきました。

さて、ここでご紹介するのは<萩尾望都研究室>という大変充実した
サイトで、岸田志野さんが書かれている『残酷な神が支配する』のキャラ
の名前についての、大変ユニークな<調査>についてです。岸田さんも
作者がどのようにして人物に命名したのか知りたかったのでしょう。そこ
で彼女は『NAME YOUR BABY』(LAREINA RULE/BANTAM BOOKS)と
いう本で、『残酷な〜』の登場人物名を調べてみたのです。岸田さんはこう言います。
<この物語がすでに登場人物名によって、最初から方向づけられていた
ことを私に思い知らしめた!>と。
物語が始まる前から、人物名がその物語の行く手を暗示していた!前記の本で
名前がどんな意味なのか、少しだけ岸田さんの調査結果を書き抜いてみましょう。
[ Ian ] God is gracious: イアン(神は慈悲深い)
St.Johnという聖人も意味する。
[ Jeremy ] Exalted by God:ジェルミ(神によって高められた)
[ Greg ] Vigilant watcthful one:グレッグ(寝ずに番する。警戒する。)
この不思議な暗合!グレッグについて岸田さんは<彼は常に自分
の理想をこわすものを警戒し、守ろうとするあまりに、攻撃し崩壊してしまった。>
と書いておられます。ジェルミの母親であるサンドラ[ Sandra ]は、
Helper and defender of mankind:(人類の救助者。擁護者。)
そう、彼女はジェルミの擁護者であろうとして、なれなかった女性です!
この他の人物についても調査がされています。ストーリーを名前の意味から
読むというこのユニークな新発見にぼくは驚かされました。



「上村一夫展」での新事実

2003年初頭、川崎市民ミュージアムで「上村一夫展」が催された際に
漫画史研究会の例会をやるから、何か喋るよう言われました。
上村さんとは彼がデビュー当時、詩友の奥成達が紹介してくれた縁で
長いことよく酒を一緒に飲んで遊んだことがありました。それで彼の人
となりを少し話そうと川崎へ出かけたのです。
原画を見るのは今回が初めてということも楽しみでした。
展示されていた雑誌用の画稿は、我々が普通使う2割拡大サイズが
殆どでした。でも、この展示で驚いたのは、雑誌の見開きページです。当然
2ページ分ですから、画稿用紙2枚をセロテープで貼り合わせたりして
対応するのですが、上村さんはそれをやっていませんでした!
どうしていたかというと、1ページ分の画稿を横にして見開きサイズを設定
していたのです。つまり見開きページのみ、原寸に対して縮小サイズで
作画されていたのです!これはぼくにとっては新発見でした作画する側
としますと拡大されてタッチが荒れてしまうので縮小サイズでは描きません。
上村さんはペン線が荒れてしまわぬように細い線で注意深く描いていました。

さて、研究会ではまず「ヤングコミック」で彼を最初に担当した筧悟さんが
喋りました。「上村氏はストーリー作りが苦手で、物語よりまずイメージとして
の風景や場面が浮かぶ人なのです」と。
「有名な『同棲時代』なんかも、まず何かイメージが浮かぶと、岡崎英生さんに話し
たりしてプロットを構成してもらっていたようです」やっぱり!とぼくは思った。ずっと
なぜ岡崎英生さんのクレジットがこの作品には付いていないのか、不思議
に思っていたのです。
このあと、ぼくがしゃべったのですが、「岡崎英生プロットだという研究
を是非してみて欲しい…」と強調しました。彼のクレジットの入った上村作
品は多くあり、どうしてこれだけにクレジットが無かったのか?ということに
ついては、当時岡崎さんが現役編集者であったという事情がある。
「彼はシャイな性格で『劇画狂時代』にもこの辺の事情を書こうとしなか
った」と筧さんは発言しています。



『じゃりン子チエ』の去勢とアニメ
「詩の雑誌 ミッドナイト プレス」という季刊雑誌に「読書目録」
なる連載を書かれている評論家の松岡祥男さんのコラムが面
白い。2003年春・19号の出だしにも笑った。
松岡家にはタマという体重6キロもある雄猫が居るそうですが、この猫は
去勢してあるといいます。何故かというと、『じゃりン子チエ』の影響による
のだそうだ。この作品に登場する小鉄の秘技玉取りによって片チンにな
った猫はことごとくオカマ猫になったからだと松岡さん。ところがタマは
一向におとなしくならず、凶暴性を発揮し氏を困らせ続けている。
しかしギャグマンガの冗談をここまで信じた人をぼくは知りませ
せん。こういったマンガの読まれ方もあるんだという、ぼくにとっ
ては新発見の<読書法>??でした。

それはさておいて、松岡さんは宮崎アニメの『千と千尋の神隠し』を、
自己模倣のひどい作品であると、強く批判しています。この作品を
リードしている<労働の美化>や<エコロジー賛美>といった理念
は反動そのものだ!とこきおろしです。
『千と千尋〜』は『ラピュタ』の海賊団の女ボスや機関長の人物像を
そのまま踏襲しており、何の新味も無いばかりかいたるところ自分
の過去のパクリになってしまっているとも書かれています。
こうした激烈な批評を、近年の宮崎アニメに対して書いたものを、ぼくは
見たことがなく、新発見でもしたようにぼくは感じました。

ぼくが長いこと、赤塚不二夫のところでアイデア・ブレーンとして多くの
作品に付き合ってきたとき、一番タブーとしたことは、ギャグの自己模倣
でした。ですから、アイデア会議のときは、過去に使用したギャグを復習
するので大変でした。  
ところが、ストーリー・マンガの世界では、この点が甘く見逃されて
いるように思えます。同様の設定やテーマでも、一方は時代劇風
もうひとつの作品はSF、というふうに書き分けてあれば、あまり問
題にならない。ギャグより目立たないのですね。
でも問題なのはそうした事実をきちんと指摘しつつ批評出来るアニメ
評論家が殆ど見当たらないといし批判や辛口の評論を避けて本作りをしている。
彼ら専門家は去勢されている。タマのように凶暴な批評家よ現われろ!ですね。


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